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詩織ちゃん問題

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「読書」という行為には、恐らく3つの過程が必要である。

まずはそのまんまだけど「文字を読む」という行為。
次に「読み終えて(もしくは途中で一度)本を閉じる」という行為。
そして割と忘れてしまいがちだけれど、「しおりを挟んで、本を閉じる」という行為だ。

「しおり」。漢字にすると「栞」。

この栞、いや、詩織ちゃん(今後、しおりのことは詩織ちゃんと呼ぶ。なんか美人そうだし)は、割と僕を悩ませる存在で、本を読んでいる途中にも時々詩織ちゃんのことを考えて、思考や読書ペースを乱されることがあるのだ。

まず第一に、新潮文庫などには買ったときからヒモの詩織ちゃんが入っていて、読みかけで本を閉じるときには、その読んだページのとこに詩織ちゃんを入れて、あとはさっと本を閉じればいい。

だが。だが、である。

この新潮文庫の詩織ちゃんは、本を読んでいるときに割と邪魔をしてくるのだ。

どこに詩織ちゃんを挟んだかがわかるように、本よりも3センチくらい足を外に出してこちらを誘惑してくれるのは嬉しいんだけど、実際に本を読むという段階になるとこの詩織ちゃんのふさふさしたところが手に当たってイライラしたりするので、一度丁寧にもう読み終わったページなどに 「し」 ←こんな形に畳んで本を閉じる必要があるんだけど、時々寝転がって本を読んでいたりすると、寝相の悪い詩織ちゃんはまーた足を延ばして人の手にふぁさふぁさとちょっかいを掛けてきて、一度それが何度も続いたので僕は我慢出来ずに詩織ちゃんを引っこ抜いたことがある。

今にして思えば残酷だ。
残酷だけれど、どうしても読書の時間を邪魔してくるヒモ状の詩織ちゃんに我慢ならなくなったのだ。
でもすぐに我に返り、「お、おぉおおお。 詩織、ごめんな」と思って愛でようとしてももう詩織ちゃんはただのヒモになってしまったのだ。

今考えると気持ちはDVをしている男だ。
一時の感情で詩織ちゃんを引っこ抜いたのだ。そして詩織ちゃんをヒモにしてしまった。
もう「詩織ちゃん」、「DV」、「ヒモ」という言葉がこれだけ出てくると、物語はまるで違う方向に行ってしまう気がするけれど、まぁそれはきっと考え過ぎだろう。

そして、次に新潮文庫以外の「紙の詩織ちゃんが入っているVersion」がある。
なぜ「バージョン」を急に「Version」と英語で書いたんだと思う方もいるかもしれないが、これは格好つけているわけじゃなくて、「ばーじょん」と打って変換したら急に「Version」と出たからだ。

僕のパソコンはきっと、国際感覚が豊かなPersonal Computerなのだ←これはわざとだろ

で、話を元に戻すと、その「紙状の詩織ちゃん」の方が割と使い勝手が良い。
ヒモのようにくすぐってくることもないし、邪魔だったらその詩織ちゃんをどっかに置いて本を読み、読み終えたらまたその置いてあった場所の詩織ちゃんを拾って本に挟めばいいのだ。

だが。これも、だが、だ。

僕はすぐにモノを無くすのだ。
本を読みながらゴロゴロしたり、なんか急に一瞬寝たり、本を読んだままウンコをしに行ったりとかをして、そろそろ詩織ちゃんを挟んで眠ろうと思ったら、詩織ちゃんがどっかに行っているのだ。
何の前触れもなく、突如詩織ちゃんは音信不通になる。

そんなときの僕は、孤独な本読みおじさんになる。

読書のパートナーである詩織ちゃんは忽然と姿を消し、とりあえず読んだところまでを指で挟んだまま呆然とする。

「し、詩織ちゃん、あんたどこ行ったの?」と時々声に出すことだってある。

でも、もうそれはあとの祭り、覆水盆に返らず、落花枝に返らず破鏡再び照らさず。
詩織ちゃんを失った男はただの本読みおじさんと化し、そして僕は毎回同じ方法で詩織ちゃん問題を解決する。

それは「ティッシュを挟む」のだ。

だから読みかけの本は、割とティッシュが挟まれたままで僕の机に積まれている。
そしてこれは僕がいつの間にか己に課したルールとして、「詩織ちゃんとして使ったティッシュで、読書前に鼻をほじる」のだ。

こうして孤独な読書おじさんは、今日も鼻をほじってから本を読む。

それが原因なのかはわからないけれど、ここ数か月僕の鼻のてっぺんが赤いので、そろそろ皮膚科に行こうと思っている。

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